自分の部署では、新人にはレポートを書かせている。主に前の週何をやったのかを報告するためのレポートだ。
入社したてのころは、どうやって書けばいいのかわからず、先輩の過去のレポートを参考にしながら作成していた。しかし、慣れてきた今は自分のフォーマットを利用して書けるようになってきた。
今週も先週の報告をまとめて提出したのだが、今までにない意見を言われてしまった。「長くて読みにくい」である。
文章というのは、長ければ長いほうがいいというものではない。相手にとって読みやすく、伝わりやすい文章を書く方がより高い評価を得るだろう。もちろん、一文を長くすることや主語と述語が繋がっていない文章は論外であるが、それだけが読みやすさに直結するわけではない。必要な情報だけを入れ、いらないものは削除することが大切だ。
上記を理解しているにもかかわらず、長くて読みにくい文章を書いてしまった理由は2つある。恐怖と宛先だ。
1つ目の恐怖は、レポートの内容が短いと何もしてこなかったと思われるという根拠のない不安のことである。大学時代も1週間の進捗を報告する機会があったが、研究をしていた、していなかったにかかわらず、A4一枚の半分ほどしかかけないということもざらだった。この報告会を行うたびに、先週自分は何をしていたのかという罪悪感に駆られていた。その感情が、社会人になった今でも続いているのかもしれない。
2つ目の宛先は、このレポートを誰の、何のために書いているかに差異があったことだ。私は、このレポートを半分自分の日記として認識していた。いつか自分が同じような状況に出くわしたとき、前回どのように行動したのかを見返すで、同じ質問をすることを防いだり、調べなおす必要を減らすことができると考えていた。そのため、レポートにはできる限り多くの情報を入力し、詳細にその日の出来事を伝えるようにしていた。しかし、レポートは本来他人に提出するものであり、自分に向けて書くものではない。人に向けて書くのであれば、その時の感情や詳細な内容は書く必要がなく、淡々と報告だけをすればよい。その意識の違いが、今回の意見を言われるに至った理由だ。
さて、現状について理解したので、どう改善していくのかを考えたい。まず、宛先については簡単だろう。そのレポートが人に向けて書くものであることを意識し、一通り書いた後受けての立場で読んでみることで、いらない情報を削除していけばいい。しかし、恐怖といいうものはなかなか変えられないだろう。どうしても多く書いた方が偉いという意識が心の中にまだあるため、その感情を理性で押さえる必要がある。重要なのは量ではなく中身であることを認識し、短い文章だがしっかり学んでいることを伝えられるような書き方を学ぶ必要がある。
ああ、また学ぶことが増えてしまった。ただでさえ自分にはやりたいことがいっぱいあるのに、これでは時間がいくらあっても足りない。効率よく学んだとしても、限界はある。今何を一番に勉強すべきかを常に考えながら、行動していかなければ。さて、今日も出勤時間だ。忘れ物をしないよう、準備をして家を出よう。