世の中には依存症という言葉があり、だれでも陥る可能性がある普遍的な病気である。しかし、この病を抱えたからといって必ずしも日常生活に影響を及ぼすわけではなく、依存症と付き合いながら生活をしている人も多い。今回は、そんな自分もそのうちの一人であり、苦しみながら戦う方法を模索していることを告白する。とはいえ、日常に支障をきたしているわけではなく、あくまで自分の理想の生活を脅かす存在として、戦う必要があると思っているだけにすぎないので、本当に依存症に苦しむ人の発言ではないことに注意されたい。
まず、自分が認識している依存症は、スマホとパチンコである。過去にはゲームにはまっていた時期もあったが、今は逆にほとんどやらなくなっている。
まず、パチンコ依存について。自分がパチンコを自らの意思で初めて行ったのは、22歳の夏だった。大学院に入学した当初の私は、出身中学から先輩からのメッセージという形で2年生の彼らにちょっとしたプレゼンを頼まれていた。年端のいかない14歳の彼らに、何が伝えられるかを考えた結果、大人になって認められる権利と、それに伴う義務、責任について喋ろうと考えた。酒やたばこが許されるのと同時に、健康や他人への影響を考えなければいけないことや、車が運転できる代わりに事故時に責任を負わなければいけないなど、そういったことの一環でパチンコについてもしゃべろうとしていたのだった。だが、実際にやってみなければ、体験を伝えられないと考え、この前負けましたというネタ作りにもなるだろうという魂胆もあった。
が、結果は4万円の勝ち。よくあるビギナーズラックということだが、このせいで予定していたプレゼンのネタは没になった。
このせい(にしてはいけないかもしれないが)ですっかりパチンコにはまってしまった私は、少しずつホールに向かうペースが増え、院生時代の末期には1ヶ月に25日ほど行っていた。しかし、他の依存症患者のように借金をすることはなく、うまく立ち回れていたのか、あまり負けなかった。今思えば、あの時とことん負けていれば、スパッとやめることができたのかもしれないが。勝った時の喜びが頭から離れず、今でも禁断症状のように行きたくなることがあり、その誘惑に負けることもある。社会人になった今でこそ、自由に行けなくなったこともあり、以前より行くペースはかなり落ちてきてはいるが、それでも0にはできていない。金は増えるかもしれないが、それよりも減る可能性のほうが大きいし、何より時間を大量に消費してしまうパチンコは、自分の人生にかなりの無駄時間を作ってしまっている。趣味と割り切ってストレス解消のために行くのもいいかもだが、せめて時間は区切ってメリハリをつけていくようにしたい。
次に、スマホ依存について。パチンコよりもよっぽど深刻な問題である。
スマートフォンは実に便利なデバイスである。基本の使い方である通話機能はもはやおまけとなっており、写真やメッセージのやり取り、SNSから目覚ましまで、ありとあらゆることをこのデバイスは引き受ける。何でもできるからこそ、そこから目を離せなくなってしまっているのだ。調べ物があればすぐに検索できるし、道に迷えばマップを取り出せる。暇なときは暇をつぶせる動画も観れるし、掲示板に行けば今の話題をすぐに知ることができる。本当は勉強したいのだが、この動画を見終わったら、次の動画を見終わったらといつまでもけりをつけられず、ずるずると開始時間が遅くなり、結局あまり勉強できない、そもそも勉強しないで終わることもしょっちゅうだ。
やりたくないことを先延ばしにしたいというこのも理由の一つになると思うが、それ以上に情報からおいていかれたくないといった気持ちも大きいと思う。試しに携帯を使えないようにしてみると、少し作業をするだけで使えない携帯に手を伸ばしている自分に気が付く。そのときに思っていることは、何か新しい情報はないかなということだ。この日記を書いているときも、途中で何度かスマホに触れてしまっていた。
正直、現在の自分にこの依存症を治す根本的な治療薬はないとさえ感じている。今できることは、せめて本当に時間があり、できることもない暇な時だけ触るように意識することだけだ。自己成長のためにも、いらない時間をできるだけ減らし、有意義な時間を増やして人生をより豊かにしていきたい。