宿泊したホテルは想像と違う場所を予約していたようで、余計に歩かざるを得なくなってしまった。しかし、客室はかなり豪華で、マッサージチェアでひたすら歩いた足を回復し、バスルームでは湯舟を張ることができたので、熱々の湯に体を休ませることができた。
いつも早起き用とギリギリ用の目覚ましを用意しており、大体は後者で起きるのだが、今日は昨日の疲れなのか、目覚ましに関係なく起きると後者の時間すら過ぎていた。目覚ましの音を止めるにはかなり面倒な手順を踏まなければいけないので、無意識に消したわけはないだろうから、おそらくアラームの音に気付かず、携帯側が根負けしたのだろう。
早起き用とギリギリ用の間の時間で、昔の夢を見ていた。高校生で、プール用の水泳セットを忘れてしまったといった内容だった。普段はすぐに忘れてしまう夢だが、なぜか今回はよく覚えている。授業前になるなり、ヤバい今日はプールがあると思い出し、慌てて探すが見つからず、家に忘れてしまったといった内容で、しかし中学時代に比べて、先生は怒らなくなっているから別にいいかといった、かなりリアリティのある内容であった。これも、昨日高校時代の友達と久しぶりに再会したからなのかもしれない。
昨日は、正午に東京に着くように家を出発し、友達と東京駅で待ち合わせた。会うのはおそらく2年ぶりくらいだろう。最初は互いにマスクをしていたので気づきにくかったが、声や口調ですぐにそれと分かった。大学時代は、自分が東京に用事があるときはほぼ必ずと言っていいほど世話になり、宿泊もよくさせてもらっていた。
今は横浜に住んでいるようで、自分のためにわざわざ東京まで足を伸ばしてくれた。食事を東京駅構内のラーメン屋で済ませた後、以前よく言っていた秋葉原に向かった。別に秋葉原に何か用があるわけではないが、ほかに行くところもなく、まあ時間がつぶせるだろうというだけの判断であった。食事中、移動中、散策中、話が尽きることはなかった。旧友の現在の話はもちろん、今の仕事、寮、趣味、人生観など、時間がいくらあっても足りなかった。目的の店はあったが、マップで探すことをしなかったので、見つけるのにかなり時間と足を使ったが、そんなことは一切気にならなかった。
彼は自分と同じような職種で、最近試用期間が終わり残業が許されるようになり、前日の土曜日も仕事をしていたらしい。自分はまだほとんど残業をしていないが、将来的にこうなると思うと、今のうちに終業後に楽しめることは楽しんでおきたいと思う気持ちが強まった。
さすがに歩き疲れ、ファミレスで時間をつぶそうかという頃に、別の友人がやってきた。もともと夕食を食べる約束をしていたが、早めに切り上げないとということで、夕食前の合流となった。
二人目の彼も2年ぶりで、以前より少しやせていたように見えた。学部就職ということもありすでに仕事は3年目に入っており、新人の自分たちとは雰囲気が違った。声も低く、味方によっては少しやつれているようにも見えた。
彼は自分たちとは全く異なる職種で、いわゆるコンサルタントだ。正直、自分はあまりコンサルタントという職業にいいイメージを持っていなかった。自分たちのビジネスを畑違いの人間からアドバイスをもらうというのが、どうしても意味が分からなかったからだ。だが、彼の仕事内容を聞いて、そのイメージがかなり変わった。仕事内容自体は自分のイメージ通りだったが、そのために必要な資料集めや取材にかなりの労力が必要だと分かったからだ。裁量労働制であるから、まともな残業代も支払われないようで、毎日十何時間も働いていると聞いて、彼の苦労に同情した。同僚も1,2割がすでに退社しているらしく、やはり厳しい仕事であると改めて感じた。10年後には絶対退社していると聞いた時には、だったらやめろよとは思ってしまったが。
先週に引き続き、中学来の友人と顔を合わせたが、思い出は色あせることなく、心の中に記憶されていた。しかし、その記憶もいつかは消え去ってしまうのが世の常である。それを防ぐには、こうして記録として残しておくことのほかない。いつか見返したとき、思い出をフラッシュバックさせ、いつでも懐かしめるように、こうやって文にしたためている。とはいえ、いつまでも後ろを向いてばかりではいけない。懐かしんでも、将来には役立たない。前を向いていくことも必要だ。それでも、昔の記憶を忘れてしまうのは、なんとも寂しいではないか。思い出は記録に残し、いつでも引き出せるようにして、安心して前を向いていきたいと思うこの頃である。
まだまだ文章力は稚拙だし、文章量もあまり多くは書けないが、日々の記録をしたため、少しでも毎日成長できるように、これからも日記を続けていきたい。また、今後は写真も載せていけるようにしたい。いくら文字を重ねても、写真一枚に敵わないこともある。写真を撮る癖をつけ、この日記にどんどん載せ、日記をリッチにしていこう。